StoryYAMAGA BASE
クライアント:やまがBASE株式会社 様
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廃校を活用した、
イノベーション拠点を山鹿に。
広大な森林と田畑に囲まれた、熊本県山鹿市の旧千田小学校。2017年の閉校後5年以上も放置されていたその校舎を、新しい発想で活用しようと一人の卒業生が立ち上がった。2024年、学校はYAMAGA BASEとして生まれ変わる。学校建築としての意匠を受け継ぎながらも、コワーキングスペースや宿泊施設、食堂などの新たな機能を兼ね備え、利用の可能性は無限大。地元ならではの文化や素材がふんだんに取り入れられ、過ごすだけで山鹿の魅力を体感できる空間づくりも魅力だ。その名の通り、BASE=秘密基地として人々の「企み」を育てるイノベーション拠点、YAMAGA BASEプロジェクトの変遷と展望を、発起人である中原氏と島田氏、そして空間づくりを手がけたスペースが語る。
テーマは壮大、財源は未定
それでも惹かれる理由があった
旧千田小学校のある山鹿市は、緑豊かな森、どこまでも続く田んぼや畑が見られる魅力的な日本の田舎だ。人を誘致できるビジネスがほとんどなく、過疎化と少子化が止まらない。「山鹿を活性化するためには、新しいビジネスを生み出せるような場所をつくらないといけないのではないか」。17年ぶりに地元に戻ってきた中原氏は考えていた。
中原 功寛 様 / やまがBASE株式会社
代表取締役CEO
島田 裕太 様 / やまがBASE株式会社
代表取締役COO
中原:「大学を卒業して以来、ずっと海外と東京を行き来する生活を続けてきました。しかしコロナ禍をきっかけに、2021年に東京で設立した会社ごと山鹿に移すつもりで17年ぶりに家族とUターンしてきたんです」
中原 功寛 様 / やまがBASE株式会社
代表取締役CEO
当時は正面切って地域活性化に取り組もうと意気込んでいたわけではなかった中原氏。最初は廃校となった愛着のある母校を『せっかくなので自分の会社の登記先として使えないか』と考えていた。コワーキングスペースや宿泊施設などのアイデアはあったが廃校を購入することは考えていなかった。
中原:「ただ山鹿市に相談する中で、卒業生が一人でやってきて広大な施設を使わせてくれ、と言っても『はい分かりました』とはなりませんでした。そんな中、先に山鹿で廃校跡地を利用して養蚕工場などをされていた島田さんに、山鹿市との交渉の進め方などを相談するうちに意気投合し、更にアイデアがより具体的に膨らんでいきました。同時に、山鹿市は廃校は処分する方針で公募に応札し取得しなければならない、という話になり資金調達をする法人も必要となる中で島田さんと一緒に会社を設立し、プロジェクトを進めていくことにしました」
島田:「まずは、私の養蚕工場の通信環境整備でお世話になっていたNTT西日本さんと中原さんをつなぎ、通信環境周りのソフト面を整えていく仲間になっていただきました。一方、設計事務所などのハード面の座組みについてはしばらく白紙状態で。というのも、構想の段階ではまだ交付金が下りていなかったんです。交付金の申請をするにも、リノベーションにかかる費用の詳細な見積もりや図面が必要ですから、『確定した財源はなく支払える根拠はありませんが、申請の図面を描くところから協力してください』と頼まなくてはいけない。構想がどれだけちゃんとしていても、断る会社がほとんどですよね。それで困っていた時に、NTT西日本さんが紹介してくださったのがスペースさんでした」
島田 裕太 様 / やまがBASE株式会社
代表取締役COO
大田 寛章 / プロジェクトマネジメント
三木 大輔 / ディレクション、設計、施工
連絡を受けたのは、つい前年度にNTT西日本とのプロジェクトを手がけた事業部長の大田。大田がプロジェクトリーダーの三木に声をかける形でYAMAGABASEプロジェクトチームが発足、本格的な参画が決まった。
大田:「NTT西日本さんとは、2022年に岐阜県の安八町に地域活性を企図したコワーキングスペース『MUSUBU TERASU』を一緒に手がけたんです。お二人はその事例も気に入ってくださり、当社を頼ってくださったんですよね。ただ、正直に申し上げて当社は商空間を手掛けてきた実績の方が多く、地域活性化や廃校のリノベーションの経験が多いわけではありません。しかも中原さんたちのビジョンは壮大かつ複雑でしたから、未知の要素を強く感じたのは事実です。それでもお二人の想いは純粋で強く、キラキラした目に私も心動かされ、だんだん『このお二人となら、できる』と思えるようになったんです」
大田 寛章 / プロジェクトマネジメント
三木:「私もやはり、あの広大な敷地と使われなくなった校舎を初めて見たときは、壮大な計画をこれからどう形にしていけばよいのか、掴みどころがないという気持ちでした。ただ、先に現地を見ていた大田に『二回目見たら、景色変わるよ』と言われて。確かに二回、三回と現地の訪問回数を重ねる度に、感じ方や見えるものが違ってきたんですよね。それからどんどん具体的なイメージが沸いてきたことを覚えています」
三木 大輔 / ディレクション、設計、施工
「山鹿じゃなきゃできないこと」を
丹念に突き詰める
せっかく施設をつくるのなら、ここにしかないものにしたい。山鹿の中の人が誇りや愛着を持てて、外の人が山鹿の良さを知るきっかけになるものに。そんな想いから、YAMAGA BASEには地元の特産品や工芸の要素がふんだんに取り入れられている。しかしそれは、膨大な議論と紆余曲折の末に取り入れられてきたものである。
三木:「プロジェクトの序盤は、中原さんと島田さんがやりたいことを入念にヒアリングして整理していくためだけに時間を使いました。それだけで3〜4ヶ月ほどかかったでしょうか。壮大で複雑な構想をいかに伝わるものとして言語化できるかを考えながら、資料をまとめていきました」
中原:「“お二人はこういうことがやりたいんですよね”と言語化してくださった最初のプレゼンから素晴らしくて、なんてこちらの思いを読み取ってくれているんだと感動しました。しかも驚いたことに、地方にある他の廃校活用事例もファイルにまとめて共有してくださったんですよ。中にはわざわざ足を運んで写真を撮ってきてくださったものも。一つ一つのことに私たち以上のこだわりを持って、期待値を超えるクオリティを発揮してくださるので、一貫して『この方々はみんなプロだ』と感じていました」
しかしデザインや設計を担当した村上は、自分たちも決して容易に核心を掴めたわけではないと振り返る。
村上 翔哉 / デザイン、設計、施工
村上:「確かに序盤は順調に進んだんです。ただその後、パースを起こした段階で私たちの提案したデザインがお二人に全く刺さらなかったんですよね。『これじゃない』と。当時は廃校活用の事例や、最先端のイノベーション施設の分析から生まれた世界観を提案していたのですが、そういった既視感のある表層の綺麗さではなく、“この土地だからこそ”の必然性や本質をもっと深く考えてつくっていかないといけないと。それをきっかけに『山鹿でないとできないことは?』という土着性に対する議論が進められ、お二人とのコミュニケーションもどんどん密になっていきました」
村上 翔哉 / デザイン、設計、施工
三木:「デザインの方針が白紙に戻った日のことは鮮明に覚えています。あの後、打ち合わせを取りやめて、急遽山鹿を観光して、純粋に山鹿のことを知るための一日をつくったんですよね。あの日に改めてお二人の熱い思いを聞くこともできましたし、もっとシンプルに山鹿の魅力が伝わる空間にしていくべきだと気づくことができ、いいターニングポイントだったと思っています」
「やっぱりああしておけば
良かった」を
一つもつくらない
イノベーション拠点としての構想が形になり始めた山鹿プロジェクト。その空間づくりは「元小学校としてのDNA」と「山鹿らしい文化や風土」の両方を最大限に活かす形で進んでいった。
大田:「予算が限られていたという事情もありますが、ゾーニングの際はできるだけもとから備わっている学校の性能を活かしながら機能を変えていこうと思っていました。例えば音楽室にはもともと防音が施されているのでイノベーションスタジオにしよう、食堂は食堂のままで使おうと。学校という文脈を大切にした形です」
三木:「ハードルが高かったのは、小学校を宿泊や飲食ができる場所に変更するための法令対応です。学校という用途から、宿泊や飲食を伴う複合的な用途の建物へと変貌を遂げるためには、さまざまな観点から内部のゾーニングやインフラを合理的に検討する必要があります。法令遵守とコスト抑制を考えながら、いかに理想に近づけていくかに工夫が必要でした」
村上:「工期もかなりタイトでしたね。白紙となったデザインの再提案が2023年の夏頃で、工事の着工は秋先。現場が動き始めてからは、デザインも設計も、工事の調整ごとも全部同時に進めないといけないフェーズがありました。当社はひとつのチームが設計から施工までを一貫して担うケースが多いのですが、この体制でなければ完遂できなかった気がします」
中原:「これだけ時間がない中で、私と島田は最後まで新たなリクエストや変更を出し続けまして……。人によっては『このタイミングで言うもんじゃない!』と怒り出しそうなところでも、スペースさんは一つ一つ丁寧に対応してくださいました。それどころかスペースさんの側から新たにご提案くださることも多々。例えば地域の本物の工芸品を取り入れるために、山鹿の作家さんに直接会いに行ったり、ギリギリのタイミングで食の提供機能を追加したり。『こだわることはできるけど、面倒だから言わないでおこう』と普通は思いそうなところですよね。結果として、私はこの空間の全てに大満足しています」
村上:「『やっぱりああしておけば良かった』『正直に要望を言えば良かった』という後悔を残してほしくなかったんですよね。それに、お二人からいただくリクエストにはいつも明確な意図や想いがあったので、私も一つ一つを全力で打ち返そうと心に決めていたんです。オープニングイベント前夜の遅くまで変更や修正があったのも、今ではいい思い出です(笑)」
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提灯・和傘・団扇などをはじめ、山鹿の土地に由来する意匠を数多く取り入れた。
つくり手の想像を超える
化学反応が生まれる場所に
2024年4月、ついにYAMAGA BASEがオープン。3月30日・31日にはオープニングイベントが催され、中原氏、島田氏と共にスペースの3人もトークセッションに登壇した。
中原:「バタバタの中で当日を迎えたオープニングイベントでしたが、トークセッションではスペースの皆さんとプロジェクトを振り返る機会があり、こだわった空間づくりの一つ一つにも光をあてていくことができました」
三木:「イベントの際は当社として何ができるかを相談させてもらって、私はスタッフの方のTシャツや館内案内図、スポンサーボードなどをデザインしたり、当日のメディア対応のお手伝いをさせていただいたりしました。大田さんはトークセッション以外の時間も道で赤い棒を振って車の誘導をしてくださっていましたね」
大田:「イベントの成功を想いながら、赤い棒を振り続けていましたね(笑)」
村上:「私も二日目は車の誘導係をしていたのですが、前日のトークセッションの生配信を見てくださっていた福岡の学生さんが、『昨日の配信で、YAMAGA BASEとスペースさんに興味を持ちました!』と来場してわざわざ話しかけてきてくれたんです。若い人への影響力を早々に実感した出来事でした」
島田:「嬉しいですね。現在も、特定地域づくり事業協同組合制度から4人、UIJターンで移住してきた若者がYAMAGA BASEのスタッフとして働いてくれています」
オープンから約半年。多くの利用者で賑わうYAMAGA BASEは、セミナーなどの会場利用から経営者合宿、日帰りでのワーケーション、小中高生の職業体験など、利用方法のバリエーションを続々と増やしている。
中原:「YAMAGA BASEのコンセプトであるiReactionには、ここでの出会いが化学反応を起こして新しいものが生まれていってほしいという気持ちが込められています。今後ここがどう使われて、何が始まるか楽しみですし、私自身も率先してビジネスを起こしていきたいと思っています」
村上:「中原さんと島田さんが想いを込めてつくられたYAMAGA BASEのロゴは、真ん中が開けてあるデザインになっています。それは『YAMAGA BASEは使ってくださる皆さんが主役なんだ』というメッセージです。ですから私としても、まさに利用者の皆さんが中心的存在となり、設計者の想像を超える形でさまざまにYAMAGA BASEを使い倒していただけたら本望ですね」
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大田 寛章大阪本部
本プロジェクトにおける役割:
プロジェクトマネジメント -
三木 大輔大阪本部
本プロジェクトにおける役割:
ディレクション、設計、施工 -
村上 翔哉大阪本部
本プロジェクトにおける役割:
デザイン、設計、施工
業務範囲:ディレクション/デザイン/設計/制作・施工
(※肩書きおよび所属は2024年12月時点のものです)
- 参考URL:
- YAMAGABASE公式サイト
- https://www.yamagabase.com
- アワード受賞歴:
- 「第18回キッズデザイン賞」
- https://www.space-tokyo.co.jp/info/20241002/
- 「第43回ディスプレイ産業賞」
- https://www.space-tokyo.co.jp/info/20241016/
- 「第58回日本サインデザイン賞」
- https://www.space-tokyo.co.jp/info/20241007/